ビブリオバトル原稿『キノの旅』

某所で行われたビブリオバトル、5分用原稿。 テーマは「哲学に関する本」 皆さんは、将来有望な少年少女を哲学の泥沼……もとい道、に引き込もうと思ったら手始めにどんな本を与えればいいと思いますか?(もっとも、いい大人としてそんな事をすべきかという…

アニクリvol.5.0寄稿に際して:個人的で詩的なものとしての「不条理

アニクリ@夏コミ:アニメと音楽とバグと on Twitter: "入稿完了いたしました。アニメクリティークvol.5.0 「アニメにおける資本・文化・技術/不条理×ギャグアニメ」特集号、発刊です。5/7、東京文フリにてお待ちしています。 #bunfree https://t.co/RdHCLyJi…

ViVidStrike!:幸福と強さを求めた少女たちの物語

ViVidStrike!(以下「ビビスト」)というアニメは『魔法少女リリカルなのは』シリーズの直系に位置づけられるべき作品と言えるでしょう。それはなのはの義理の娘であるヴィヴィオが重要なキャラクターとして登場するとか、魔法文明の設定がある程度共有され…

ユクスキュル雑語り

(*本記事はユクスキュル自身の著作等を1ページたりとも読んでいない人によるとても大雑把な理解によるものです。けして安易に信用してはいけません) 現在放送中のアニメ、フリップフラッパーズに主人公のペットとして登場するウサギのような奇妙な動物がい…

レプリカ、あるいはオリジナル

久しぶりにCDを買いました。 これです。 坂本真綾LIVE TOUR 2015-2016“FOLLOW ME UP”FINAL at 中野サンプラザまぁ最初に述べておくべきことがあるなら、控えめに言って超最高だったということでしょうか。 坂本真綾のライブ音源というのはそもそもそんなに多…

哲学的絵図遊び――「論考のアレ」より

私が自分の哲学的立場のトレードマークとしている図がある。このようなものだ。 図1これは、もちろんウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』に登場する図のパロディ(?)であり、ウィトゲンシュタインのそれは以下のようなものだ。 『5.6331 つまり、視野…

『サクラノ詩』感想・考察など

<注意!> この記事は性質上、『サクラノ詩』全編のネタバレを各所に含みます。未プレイ、プレイ途中の閲覧は自己責任でお願いします。 また、ネタ本・副読本に関しては別の記事をすでにあげていますのでそちらもよろしければどうぞ。 前作、『素晴らしき日…

『サクラノ詩』副読本いろいろ

『サクラノ詩』全編終了しました。元ネタが幅広い分野に渡り、かなり色々な本を参照したので、まとめておきます。ここでは書籍に関してのみで、絵画や音楽は含みません。 宮沢賢治 『春と修羅』 オープニング他随所に登場。「III ZYPRESSEN」はこの中の『春…

「空気力学少女と少年の詩」考察/ふたつの言葉について

現在、『サクラノ詩』をプレイ中で、とても色々思うことが多いのでこの作品に関してはまた改めて書きたいと思うのだが、ふと聴き直したすかぢ前作、『素晴らしき日々』主題歌の「空気力学少女と少年の詩」について気づいたことというか思うところがあったの…

「言語」の幻想と力

(この記事は3年ほど前に書いたものの、下書きのまま放置されていたものを見つけて公開するものです。最近の私の考え方/言葉遣いとは必ずしも一致しない部分があります) 言語という言葉の多義性は、あまたの混乱のもとになっている。これを広く広く解釈す…

2015年漫画10選

まま、せっかくなのでたまにはこういうのも書いてみようかということで。 パパっと手短なコメント付きで挙げてみましたのでよろしければお付き合いください。なお順不同です。 黒井緑『赤城と比叡』 楽園-Le Paradis-のWeb増刊で連載していた海戦漫画。文字…

言葉になることの意味、言葉にならないもの

「こどもがおとなになると、言葉になる」 少女時代のミァハは、言葉にされてしまうことを拒絶した。 言葉にされる、とは一般化されるということだ。月並なたとえだが、ここに林檎が幾つかあるとする。「林檎」なるものはもともと存在せず、何がしかの個別の…

私たちの時代のヒーローという概念

この記事では、とある人の書いたヒーローと超人に関する記事を読んで思ったことなどを勝手に書き散らかしたものです。あと筆者はヒーロー物については、実は全然詳しくありません。・「ヒーロー」と「超人」という異なる概念、そして「ヒーローの錯覚現象」…

『ニカライチの小鳥』意識の正体に関する考察

福岡俊也『ニカライチの小鳥』太宰治賞2012の最終選考作品。ウィトゲンシュタインやヒュームなどの哲学を取り上げられ、文学と哲学の両面からの思考の流れが描かれる。名前は登場しないが、思索の内容は永井均と共通点が多いように思われる。 数は2から始ま…

「ちびっこフォーク」でカフカは言った。

今日はカフカ生誕130周年だそうだ。 それにちなんでではないが、坂本真綾の「ちびっこフォーク」という歌がある。作詞は一倉宏。 この詩の後半にカフカがでてくる。 「きみともし世界が 戦うなら」とカフカは言った ぼくともし世界が 戦うのなら そのとき…

識ってなんだ。『唯識』

今度の哲学道場での発表(6月16日)に向けて唯識のことを勉強している。 唯識の分析によると我々の精神作用と、ひいては世界のすべては阿頼耶識から生じていると言う。阿頼耶識は末那識を生じ、末那識からは意識や五識(≒五感)が生じるが、それらのあり…

数学の内包とは(京都哲学道場#72)

今回の哲学道場では、人間機械論は証明も反証も原理的に出来ない、という話をダシにして数学に第0次内包があるという主張であった。発表者は@Tarouphoさん、以下Tarou氏と表記する。 内包とは、クリプキとチャーマーズが提唱し、永井均が拡張した概念でざっ…

「魔法少女まどか☆マギカ」 何かを選び、何かを願い生きるということ

魔法少女まどか☆マギカ(以下まどまぎ)を、本放送で観て以来、通して観た。脚本も演出もとにかく素晴らしい作品だと思う。以下、未視聴者への配慮は一切無いので、そのような方には一言「いいから取り敢えず観とけ」とだけ言わせて貰いたい。 まどまぎが作…

「クジラは魚だ」の妥当性

「クジラは魚だ」 これが間違った言及であることはごく一般的な常識であろう。クジラは哺乳類で、魚類ではない。 だが、終生水の中で過ごし、ヒレをもって海を泳ぐクジラは、イヌやヒトよりはマグロやアナゴに近いのではないか。そもそもクジラが哺乳類であ…

『うたかたの日々』 夢の様な暮らし、荒廃と喪失

青年コランは美しいクロエと恋に落ち、結婚する。しかしクロエは肺の中に睡蓮が生長する奇妙な病気にかかってしまう……。愉快な青春の季節の果てに訪れる、荒廃と喪失の光景を前にして立ち尽くす者の姿を、このうえなく悲痛に、美しく描き切ったラブストーリ…

私が独我論者になったわけ

独我論は語り得ない。では何故独我論者は、はじめから不可能なこと(自分でそう言っている!)に多くの情熱を傾けるのか。 他の独我論者のことは知らないので、自分はこういう理由で自分の独我論を展開しているというのを書こうと思う。 「独我論はどうして…

言語と思考の射程について

先日、ある人が「人間は言語によらないと思考することはできない」と言ったが、そうだろうか?と疑問を感じた。 そもそも、言語や思考という単語が指すものはなんなのか。そこからはっきりさせたい。以下、私なりにこれらの単語の範囲を画定させてみようと思…

詩的言語という分類

私的言語は可能か?という問いにウィトゲンシュタインは「言語の意味はその使用が決める」としてただ自分だけが理解する言語というものは想定できないと言ったらしい。対して永井均は私秘性の成立(他人のクオリアは覗けない)と今秘性の不成立(過去の自分…

大阪哲学道場第16回「なぜ私が今で神なのか」(1月13日)

今回は、哲学道場という大変アナーキーな場で哲学を実践する機会を貰えた。 テーマは永井均の独我論だが、永井のまえがきをパロディして言うならば「私は私自身の哲学との関連でしか永井均を語ることが出来ない」ということで自分なりの色々なものを書き散ら…