2013-01-01から1年間の記事一覧

「ちびっこフォーク」でカフカは言った。

今日はカフカ生誕130周年だそうだ。 それにちなんでではないが、坂本真綾の「ちびっこフォーク」という歌がある。作詞は一倉宏。 この詩の後半にカフカがでてくる。 「きみともし世界が 戦うなら」とカフカは言った ぼくともし世界が 戦うのなら そのとき…

識ってなんだ。『唯識』

今度の哲学道場での発表(6月16日)に向けて唯識のことを勉強している。 唯識の分析によると我々の精神作用と、ひいては世界のすべては阿頼耶識から生じていると言う。阿頼耶識は末那識を生じ、末那識からは意識や五識(≒五感)が生じるが、それらのあり…

数学の内包とは(京都哲学道場#72)

今回の哲学道場では、人間機械論は証明も反証も原理的に出来ない、という話をダシにして数学に第0次内包があるという主張であった。発表者は@Tarouphoさん、以下Tarou氏と表記する。 内包とは、クリプキとチャーマーズが提唱し、永井均が拡張した概念でざっ…

「魔法少女まどか☆マギカ」 何かを選び、何かを願い生きるということ

魔法少女まどか☆マギカ(以下まどまぎ)を、本放送で観て以来、通して観た。脚本も演出もとにかく素晴らしい作品だと思う。以下、未視聴者への配慮は一切無いので、そのような方には一言「いいから取り敢えず観とけ」とだけ言わせて貰いたい。 まどまぎが作…

「クジラは魚だ」の妥当性

「クジラは魚だ」 これが間違った言及であることはごく一般的な常識であろう。クジラは哺乳類で、魚類ではない。 だが、終生水の中で過ごし、ヒレをもって海を泳ぐクジラは、イヌやヒトよりはマグロやアナゴに近いのではないか。そもそもクジラが哺乳類であ…

『うたかたの日々』 夢の様な暮らし、荒廃と喪失

青年コランは美しいクロエと恋に落ち、結婚する。しかしクロエは肺の中に睡蓮が生長する奇妙な病気にかかってしまう……。愉快な青春の季節の果てに訪れる、荒廃と喪失の光景を前にして立ち尽くす者の姿を、このうえなく悲痛に、美しく描き切ったラブストーリ…

私が独我論者になったわけ

独我論は語り得ない。では何故独我論者は、はじめから不可能なこと(自分でそう言っている!)に多くの情熱を傾けるのか。 他の独我論者のことは知らないので、自分はこういう理由で自分の独我論を展開しているというのを書こうと思う。 「独我論はどうして…

言語と思考の射程について

先日、ある人が「人間は言語によらないと思考することはできない」と言ったが、そうだろうか?と疑問を感じた。 そもそも、言語や思考という単語が指すものはなんなのか。そこからはっきりさせたい。以下、私なりにこれらの単語の範囲を画定させてみようと思…

詩的言語という分類

私的言語は可能か?という問いにウィトゲンシュタインは「言語の意味はその使用が決める」としてただ自分だけが理解する言語というものは想定できないと言ったらしい。対して永井均は私秘性の成立(他人のクオリアは覗けない)と今秘性の不成立(過去の自分…

大阪哲学道場第16回「なぜ私が今で神なのか」(1月13日)

今回は、哲学道場という大変アナーキーな場で哲学を実践する機会を貰えた。 テーマは永井均の独我論だが、永井のまえがきをパロディして言うならば「私は私自身の哲学との関連でしか永井均を語ることが出来ない」ということで自分なりの色々なものを書き散ら…