2013-01-01から1ヶ月間の記事一覧

『うたかたの日々』 夢の様な暮らし、荒廃と喪失

青年コランは美しいクロエと恋に落ち、結婚する。しかしクロエは肺の中に睡蓮が生長する奇妙な病気にかかってしまう……。愉快な青春の季節の果てに訪れる、荒廃と喪失の光景を前にして立ち尽くす者の姿を、このうえなく悲痛に、美しく描き切ったラブストーリ…

私が独我論者になったわけ

独我論は語り得ない。では何故独我論者は、はじめから不可能なこと(自分でそう言っている!)に多くの情熱を傾けるのか。 他の独我論者のことは知らないので、自分はこういう理由で自分の独我論を展開しているというのを書こうと思う。 「独我論はどうして…

言語と思考の射程について

先日、ある人が「人間は言語によらないと思考することはできない」と言ったが、そうだろうか?と疑問を感じた。 そもそも、言語や思考という単語が指すものはなんなのか。そこからはっきりさせたい。以下、私なりにこれらの単語の範囲を画定させてみようと思…

詩的言語という分類

私的言語は可能か?という問いにウィトゲンシュタインは「言語の意味はその使用が決める」としてただ自分だけが理解する言語というものは想定できないと言ったらしい。対して永井均は私秘性の成立(他人のクオリアは覗けない)と今秘性の不成立(過去の自分…

大阪哲学道場第16回「なぜ私が今で神なのか」(1月13日)

今回は、哲学道場という大変アナーキーな場で哲学を実践する機会を貰えた。 テーマは永井均の独我論だが、永井のまえがきをパロディして言うならば「私は私自身の哲学との関連でしか永井均を語ることが出来ない」ということで自分なりの色々なものを書き散ら…