私たちの時代のヒーローという概念

 この記事では、とある人の書いたヒーローと超人に関する記事を読んで思ったことなどを勝手に書き散らかしたものです。あと筆者はヒーロー物については、実は全然詳しくありません。

・「ヒーロー」と「超人」という異なる概念、そして「ヒーローの錯覚現象」について。 - ぼっちQ&A!~ひとりぼっちの地球侵略感想ブログ~

 ヒーローと呼ばれる条件として、上にリンクを張った記事では おおまかに言って「物語の中において、誰かを助ける役割を果たす人物」であること、そしてそこから派生して、「過去の行いからヒーローとみなされ続ける人物」と「超人的な属性を持つ人物」もヒーローと(誤って)呼ばれうるのだとしている。
 一般にヒーローといえば、例えば古典的にはウルトラマン仮面ライダーである。彼らは普通の人はけして持ち得ない「超人的な」力をもって、人々の生活を脅かす「悪」と戦うという物語の中で誰かを助け続ける。
 一方で、「人を助ける」こととは基本的に無関係な文脈でヒーローという呼称が使われることもある。典型的には非常に優れたスポーツ選手が「国民的ヒーロー」とされるといったものである。この文脈において、物語の中での役割とは無関係に、「超人属性」と「憧れを集める作用」だけがヒーロー性の根拠となっている。このように、あらゆる「ヒーロー」と呼ばれる人物に共通するような属性はもはや見いだせないと言ってもよいだろうが、やはりヒーローとは能力的に優れていたり賞賛される行動を取り、善性を体現する人物に対してポジティブに使われるのが普通だ。しかし、全くそのような典型的なヒーロー像からかけ離れた存在もしばしばヒーローと呼ばれる。例えば、寺山修司は『負け犬の栄光』の中で以下のように書いている。

私にとって、60年代のヒーローとは、勝とうとしながら勝てず、怨念のうちに燃えつきていった男たちのことである。

 もはやこの文脈において、ヒーローは誰も助けず、超人でも何でもなく、人々の憧れを一身に集めることすらない(ちなみにこうした文脈で寺山修司が取り上げるのは、野球選手、ボクサー、あるいは競走馬である)。それでもなお、彼らをヒーローたらしめているものはなんなのであろうか。
 月光仮面について書いた別の文脈で寺山修司は、また以下のようにも述べている。

 第二次世界大戦を境として、この倫理−−正義の味方の素顔は、悪の素顔へと倒錯していき、正義は居場所を失い、姿をくらまさねばならなくなった。(中略)
 私たちは、やがて「正義の味方」ではなく、正義そのものを疑いはじめ、その尺度の判定など存在しないことを知るようになっていった。

 確かに寺山修司の生きた60年代とは、戦争をまたぎ敗戦から立ち直り、成長期へ向かいつつも、既成の価値観が意味をなさなかった(=正義が不在な)時代だったのかもしれない。その後日本の社会は、70年代の安定期を経て、90年代にはバブル経済へと向かうのは周知のことである。

 一方で、1966年のウルトラマンを先駆けとして、1971年の仮面ライダー、1975年にはスーパー戦隊シリーズと、70年代はヒーロー物百花繚乱の時代とも言える。「ガラクタの60年代」を乗り越え、経済的/社会的な安定を獲得したことで、規範的な「正義の」ヒーローをもてはやす事が可能となったのが70年代という時代だったのかもしれない。この文脈で語るならば「規範」が再び崩壊し、現代の再び正義が不在の時代へと向かう契機は当然バブル崩壊であろう。

 さて、前置きばかり長くなってしまったが、現代という正義が不在の時代への大まかな流れを仮説的に語ってみたところで、本題である。
 超人的能力とも無縁で、誰も救わず、規範を体現するでもない。そんな人物がなお、ヒーローと呼ばれる場合のヒーローとは何なのであろうか。

 結論から先に言えば、それは「他者に対して何らかの物語を体現することのできる人物」ではないだろうか。物語を体現するとは、一貫した一個人の元に、価値観、佇まい、エネルギー……そういった諸々の要素を統合することでひとつの「可能な生き方」を見せる、言い換えれば別の人生を仮想体験させるということである。あるいは「物語」を「正義」などの言葉で言い換えても良いかもしれない。他者の人生/価値観を擬似的に追体験するかのような、こうした作用は時に自分の人生に理想や目標、あるいは希望を与えてくれるものだ。この時、ヒーローは直接的には何もせず、ただ自分の人生を生きているだけであるにもかかわらず、誰かの人生を「変える/救う」のである。
 こうした意味でヒーローを捉えてみると、誰をヒーローとみなすかはヒーローの立つ時代、彼を見る人という文脈に完全に依存する。だから、社会が安定して正義/価値観が単一化していれば、そこにはいかにもヒーローらしい少数の(理想的にはただ一人の)ヒーローが立つだろう。一方で、社会が混迷していて多用な正義/価値観が乱立する世の中には、それぞれの物語の元に雑多なヒーローが息づくことになる。また、人生の疑似体験としてヒーロー視という現象を見るならば、ヒーローを求める側の願望こそが「誰がヒーローか」を決定すると言ってもいいだろう。すなわち、自身とある程度同一視可能な程度に近しく、かつ自身の本来の人生では果たせないようなことを果たしてくれるのが、その人にとっての理想的なヒーローである
 ここで現代日本に目を向けてみると、決して順風満帆明るい未来、とは言えない情勢で、人々は正義や理想を持てずに生きてるといっていいのではないだろうか。それだけでなく、生活は細分化が進み、インターネット等の情報メディアの発展は、情報の均一化ではなく多様化/細分化を急激に進めたと言って良い。そうした社会の情勢とは、物語が細分化及びメタ視され、純然たる「みんなの物語」が成立しえない環境とも言える。60年代とはかなり雰囲気は違えど、現代の日本もまた「ヒーロー不在の社会」と呼ばれることに何ら違和感はない。もちろん、現代日本にヒーローが居ないと言っているわけではない。むしろヒーローは無数に存在する。そしてヒーローが無数に存在するということこそが、「ただ一人のヒーロー」の不在を決定的に証明している。そして、こうした社会でヒーロー視される存在とは、ただ一人で皆の正義を体現、実現するジェネラルなヒーローではなく、ごく「パーソナルな」ヒーローとなろう。
 ところで、このようなパーソナルなヒーローしかいない世の中において、所謂「ヒーロー物作品」はどのように作られ、消費されるのだろうか。ウルトラマン仮面ライダーは今もシリーズが続いているが、それらとは別に、ヒーロー物のテンプレートをメタ的に取り込んだ、「ヒーロー物物」とでも呼べる作品が近年多く作られていることは、注目に値するのではないだろうか。例えばガッチャマンクラウズインサイトでは主役の一人である一ノ瀬はじめが「ヒーローって何なんっすかね〜」と繰り返し歌う。ガッチャマンの面々はそれぞれの裡に少しずつ異なる正義を抱え、決して一枚岩ではなく、むしろそれぞれ個人的な存在として強調される。こうしたヒーローの姿を通じて、「ヒーロー不在の社会」をいかに生きるべきかを問うことが『ガッチャマンクラウズインサイト』の主題の1つだろう。
 また、『γ−ガンマ−』という漫画作品を例に挙げると、本作では様々な怪人や怪獣、悪の組織や異星人が地球の平和を脅かすなかで、アメコミや特撮の変身ヒーローを中心とした様々なヒーローが入り乱れて活動するという世界を描いている。本作は明らかに上記で述べたような「ヒーロー物」をメタ的に材料として扱った「ヒーロー物物」であり、実際にこの世界で多様なヒーローが現れるきっかけとなった人物は、ヒーロー物作品の大ファンであり、この世界のヒーローの起源はヒーロー物という虚構(=物語)であることが明らかになる。また、本作中にはいかにもそれらしいヒーローも登場する一方で、ヒーローとしての超人的な力を失った元ヒーローの苦悩や、ヒーローとなったものの実力が足りずに悲劇的な結末を招いてしまうストーリーが展開され、「ただ一人物語の中心に立ち、強力な力で正義を実現するために戦う」というヒーロー像は、いわばバラバラに分解されてしまう。一方で彼らはその外見だけでなく、裡に秘めたそれぞれの正義感や物語により、非常に「ヒーロー然として」我々の目に映ることもまた事実である。また、『γ』でメインストーリーの敵と主人公勢の対立構図は、絵面としてはヒーロー物らしく善悪の対立のように描かれる一方で、一概に悪役側が悪と判断することはできないようにも思える。敵のボスの目的とは、人類のうちの選ばれた者たちを進歩させて人類を新たなステージに導くことで、そこで切り捨てられる人間が大勢いることは認められない、というのが主人公たちの立場となる。しかし、一歩違えば主人公たちの立場は旧弊の価値観に囚われてズルズルと滅びへ沈んでいく老悪、とみなすこともできる(実際、人類の未来に関して明らかなビジョンを示せているのは敵の側である)。この相対化された善悪の戦いの勝敗の決め手となるのが、愛でも勇気でもなく、あるヒーローの個人的な憎しみの気持ちによる執念(つまり負の感情)であるという事実は非常に示唆深いものがあると思う。

 こうした「ヒーロー物物」の登場、ヒーローという概念の分裂、多様化は時代の流れなのか、あるいはヒーロー物の歴史の蓄積の結果なのかは分からない。だが、現代という時代におけるヒーローとは非常に個人的で人間くさく息づいたものになっていることは確かだろう。
 つまるところ、みんなのヒーローが不在の現代とは、私たちが個人的なレベルで正義や憧れといったヒーローの機能を担っていくような生き方が必要な時代なのではないだろうか。


あなたには、ヒーローがいますか?